『インターネット持仏堂』
内田先生と釈徹宗さんの『インターネット持仏堂1 いきいなりはじめる浄土真宗』『インターネット持仏堂2 はじめたばかりの浄土真宗』を読み終えた。
内田先生ファンなら御案内のとおり、この本は先生のサイトで連載されていたのを書籍化したものである。
第1巻の「読者のみなさまへ」によると、この企画は、浄土真宗について何も知らない先生が、宗教的な諸問題について、往復書簡形式で自由にお喋りしながら釈さんから仏教の基本知識を教えてもらい、それをホームページに掲載し、紙数がまとまったら本にして出そう、という趣旨で始められたとのこと。
そもそものきっかけは、本願寺出版社から先生に、「いきなりはじめる浄土真宗」の企画が持ち込まれたことだそうだが、それにしても先生の好奇心の旺盛さにはいつもながら驚かされる。
この本のユニークさは、釈さんもあとがきで書かれているとおり、先生が「あえて親鸞思想や真宗教義の情報を仕入れて語ろうとし」なかった点だ。そして、「終始一貫して常識感覚で宗教を語」っているのである。釈さんも言われるように、「普通はつい勉強してしまう」だろう。それを敢えてしないことで、通り一遍でない、豊かな対話が産み出されていると思う。
そのことに関連して、先生がTFK2の第11回 ブリコラージュ的知性についてで書かれていたことを思い出した。
こちらにどれほど知的な「ストック」があって、博覧強記を誇っても、「かね
て用意のストックフレーズ」を独白するかぎりでは、まるで対話にはなりませ
ん。
でも、こちらの「ストック」が多少貧弱でも、そのストックの「使い回し」がで
きると対話はなんとか続けられる。
つまり、相手が振ってきた論件について、「あ、そういえば『それ』って、
『あれ』ですよね?」というふうに受けているとなんとかなる、ということで
す。
相手の振った「それ」がぼくにとっては未知の情報であっても、文脈からこち
らにとっては既知の「あれ」との関連性が浮かび上がる…ということってあり
ますでしょ?
ぼくが今回の二回の対談でしみじみ感じたのはこの「ストックの使いまわし」
ということの大切さでした。
是非とも全文お読みいただきたい文章だが、ここらへんに、先生の知的能力の卓越さを垣間見た気がした。
話は、「ご縁」つまり仏教における「自由と宿命」の話から始まる。先生はラカンや甲野善紀さんの著作を引用しつつ、まさに縦横無尽に語り始められる。それに対して釈さんは、仏教について丁寧に語ってゆかれる。これぞまさにコラボレーションであり、非常に知的でスリリングな展開となっている。
映画好きの先生だけあって、『猟奇的な彼女』など映画に関する話題も出てくるのも興味深い。
また、「いきなりはじめる浄土真宗」と「はじめたばかりの浄土真宗」の中に「間狂言」という、釈さんが宗教の解説をしてくれる章がある。それがとても本格的な宗教解説で、読んで非常に勉強になった。
高橋源一郎さんも本の帯に、『内田さんが「面白い!」とおっしゃっているのだから、面白いはずだ。」と書かれておられるとおり、実に面白い本だ。この本は、「仏教なんて関係ないし、興味もない」という方にも是非とも読んでいただきたい。
ただ、宗教的な問題について語られている性格上、どうしても抽象的な話になりがちで、読んでいて難しいところもあった。そういうところを、いろいろ勉強した上で読み返して理解できるようになりたいと思う。
余談だが、こうして書籍化された後になってもネットで読めるというのは、さすが先生、とことん太っ腹でいらっしゃる。


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