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2005.06.30

バトンの行方

疾風怒濤の1週間もどうにか終わり、ルーティンな日々がやっと戻ってきました。

灯台守マツモトさんから思いがけなくMusical Baton を渡して頂き、非常に嬉しかったです。次のバトンを春樹さんに、という無謀と思える試みですが、実際に春樹さんに連絡して下さったとのこと、本当にありがとうございました。

それにしても、遂にブログ上で御本人からのメッセージを読むことができて、とても感激しています。相変わらず、『村上朝日堂』を彷彿とさせる洒脱な文章ですね。日本におられるとばかり思っていたのに、ボストンに住んでおいでとは、驚きました。

音楽好きな春樹さんのことですから、あちらでもずっと音楽を浴びながら生活されるんでしょうけど、音楽システムはどうされているのか気になります。それなりのシステムを、あちらで購入されたのかな。

何かとお忙しいでしょうが、Musical batonを受け取って下さるといいなあ。

あと、Musical batonについて、チェ-ンメールの一種だと批判する人がいるようですが、オカダはそうは思いません。

「不幸の手紙」等の問題点は、それを受け取った人の意志に反して回さなければばらないという気持ちにさせられるという点にあると思いますが、Musical batonの場合は、受け取るのも回すのもあくまでも本人の自由ですから。

バトンを断るのも負担に感じる、という人の気持ちはよくわかりますが、そもそも人間関係というのはその程度には負荷のかかるものではないかと思います。

回線への負荷という問題については、そもそもブログ(トラックバック&コメント)というシステム自体に内在する問題であって、Musical batonのみの問題ではないと思います。

もちろん、「バトンお断り」と宣言するのも自由だと思いますが。

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2005.06.24

Musical Baton

灯台守マツモトさん、Musical Baton ありがとうございます。指名して頂いて、光栄の極み、感謝感激雨あられです。なのに回答が遅くなってすみません。

さて、オカダの回答です。

1,Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)

オカダも音楽はもっぱら自宅のリスニングルームで、CDかLPを聴くので、PCには入れてません。

2,Song playing right now (今聞いている曲)

今、オカダの頭の中で鳴っている曲は、『ベサメ・ムーチョ』。
綾戸智絵さんによる弾き語り。6月22日の夜、ソロコンサートで歌われた曲の中で、1番印象に残った歌です。綾戸さんが、映画『Shall We ダンス?』を見て、ラテンナンバーを歌ってみようと思い立ち、挑戦してみたとのことです。この曲自体は、それほど好きではなかったのですが、綾戸さんの声、歌い方にマッチしていてとても良かったです。

歌も喋りも素晴らしかったので、このコンサートについては別エントリーでお知らせしたいと思っています。

3,The last CD I bought (最後に買ったCD)

SENTIMENTALovers
平井堅
DefSTAR RECORDS - ASIN: B000456XPC

映画『世界の中心で愛を叫ぶ』の主題歌『瞳をとじて』が聴きたくて買いました。映画は、長澤まさみさんの弾けんばかりのはつらつさが強く印象に残りました。

4,Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)

オカダもPiccoliさん にならって5枚のCDを挙げてみます。

その1 星影のステラ
キース・ジャレット・トリオ
ユニバーサルクラシック - ASIN: B00008KKT6

オカダがジャズプレイヤーの中で最も好きなのが、キース・ジャレットです。そしてその出会いの1枚が、この「スタンダーズ」の最初のライブ盤です。とてもクールにして情熱的、そして緊張感に溢れた美しい音の数々に、完全に打ちのめされました。オーディオ・ファンとしては、音質が素晴らしいのも嬉しいです。

その2,
アット・ストーリーヴィル1&2
スタン・ゲッツ
東芝EMI - ASIN: B0000084A7

村上春樹の『1973年のピンボール』に出てくる、『ジャンピング・ウィズ・シンフォニー・シッド』が収録されているアルバム。まさにスイングしたくなる曲のオンパレード。オカダは口笛がうまく吹けないのが残念です。

その3,がんばっていきまっしょい - ― オリジナル・サウンドトラック
リーチェ
東芝EMI - ASIN: B00005GOHP

映画『がんばっていきまっしょい』のサントラ盤。リーチェの歌う主題歌『オギヨディオラ』は美しい映画の情景を思い出させてくれ、海上を漂っているようなゆったりとした気分にさせてくれます。

その4,ミスリム
荒井由実
アルファミュージック - ASIN: B00005GI2O

荒井由実のセカンドアルバム。詞が描く世界、メロディー、そして音質、どれも素晴らしいです。また、バックバンドは「ティン・パン・アレイ」というバンドが勤めていて、メンバーには細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆、林立夫。その演奏も最高です。さらに山下達郎がコーラス・アレンジを担当しており、達郎率いるところのシュガーベイブ(吉田美奈子、矢野顕子ら)がコーラスで参加しているのもスゴイところ。内田樹先生もこのアルバムをブログで絶賛されていました。こちらには『瞳を閉じて』を収録。

その5,別れの曲~ショパン名曲集
作曲: ショパン
演奏: アシュケナージ(ウラディーミル)
ユニバーサルクラシック -ASIN: B000091LCR

いつもポケットにショパン(笑)。村上春樹は雑誌Sound&Lifeで、「聴く音楽はジャズとポップスとクラシックの三本立て、これはずっと変わらない」と語っています。オカダはあまりクラシックは聴きませんが、これはその数少ない中の愛聴盤。

5,Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)

さて、これがまた問題なのですが。オカダも柚木さん 同様、渡す相手を考えるのはひと苦労でした。Piccoliさんのように渡さないものクールだと思うけど、まあ「まつり」の1つというノリでいってみましょう。

で、まずは村上春樹さん。灯台守マツモトさん、もし春樹さんと連絡をとる機会があるのなら、訊いてみて頂けませんか。あまりにも厚かましいお願いではあるし、受けて下さるとはとても思えませんが、まあ、ダメ元ということで。

次は、『がんばっていきまっしょい』の原作者、敷村良子さん。こちらは、公式HPはお持ちだけど、メールアドレスを公開されていないので、バトンの渡しようもないのだけど。

次づいてネット上の友人 みそがいの防戦一方の みそがいさん

そして同じく てのひら雑記帳の Ohmasaさん

そして同じく 考える葦のブログの hoddyさん、よろしくお願いします。もちろん、できたらで結構です。

内田樹先生にもお渡ししたいのは山々ですが、恐れ多くてとてもできません。御友人を亡くされたばかりでもあるし。

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2005.06.22

しばしお待ちを

なんと、灯台守マツモトさんからMusical Baton を頂きました。感謝感激です。が、しかし、but、こういうときに限って時間がない。しかも他の4人はもうエントリーしてるし。

ということで、しばしお待ち下さい。近日中にエントリーいたします。m(__)m

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2005.06.17

議論の作法

先日の拙エントリー論理の効用 について、sivadさんのレトリックの効用 というエントリーへのコメントという形で、turbさんからコメントを頂いたのでお答えする。

turbさんが、コメント欄に

  • 内田先生の該当箇所の問題部分は、
    「平和条項は空文だ」という論者の推論過程を追うように見せかけて「世界から戦争がなくならないから」という誰も主張していない(言い過ぎかもしれないので「ほとんど」としておきます。)理由を空文論に与え、そうやって作り上げた攻撃しやすい論に対して批判をしているという点にあると思います。
    つまり問題は「論理破綻」ではなく「攻撃対象のすり替え」であるということです(むしろ、すり替えの枠内では極めて論理的です)。
    岡田さんのエントリーに対する、これは答えになると思います。sivadさんもこの箇所については、本当はこのすり替えを問題だと感じていらっしゃったのではないでしょうか?

と書いていた。これは、内田樹先生のエントリー空文の効用 に対する批判である。

先生の当該エントリーには、

  • 世界中に平和憲法がこれだけあるのに、世界からは戦争がなくならない。
    だから、平和憲法は空文である。

という改憲論者の主張を取りあげておられるのだが、turbさんは、そのようなことはほとんど誰も主張していない、と書いている。この点に、turbさんとオカダの認識の違いがあるようだ。turbさんの認識が正しいとすると、確かに内田先生の『空文の効用』における主張自体があまり意味のないものとなる。

しかしオカダの認識では、改憲論者の典型的な主張は、

国家間での争いはなくならず、それを実効的に解決する機関はまだ存在しない
よって、世界から戦争はなくならない
よって、日本も自衛のための武力を保持すべきだ
よって、憲法9条にもそれを明記すべきだ

というものだ。日本が憲法で平和主義を唱えたところで無意味だ、即ちそのような平和憲法は空文だ、という主張は、近年よく見聞するところだ。

このような、改憲論者の主張に対する認識の違いが存在するとは、内田先生も考えておられなかったのではないだろうか。不特定多数の人に対して、自分の考えを主張することの困難さを改めて感じた。

また、sivadさんには、先の拙エントリーに対してできれば「きちっとした反論」をして欲しかったのだが、してもらえなかった。少々残念だが、返答するかどうかはあくまでもsivadさんの自由なのだから仕方がない。自由であるべきブログ空間で、「返答しないのは倫理がない」など言うのは節度がない行為だと思う。自戒したい。

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2005.06.15

村上春樹のサウンドライフ

第9回モトクラシ大調査

Q1,村上春樹さんの工場訪問エッセイ『日出る国の工場』も人気のある一冊です。この本には村上さんが安西水丸さんと一緒に訪ねた7つの会社が出てきます。このうち、あなたが働いてみたいのはどこですか?

A、テクニクスCD工場。オカダはオーディオファンだから、1度は働いてみたい。

そういえば、先日たまたま本屋で『別冊ステレオサウンド Sound&Life いい音と暮らそう』という雑誌を手にとったら、「村上春樹ロングインタビュー『音楽を聴くと言うこと』」という記事が載っているのを見つけて、小躍りして買物カゴに放り込んだ。

インタビューは、村上春樹の自宅のリスニングルームで行われて、その写真も載っていた。壁一面にレコードが収納されていて、その数は半端じゃなかった。

音楽とオーディオについて語っている内容も、非常に興味深かった。最後に「僕にとって音楽というものの最大の素晴らしさとは何か?」と言う問いに対する答が書かれているのだが、とてもユニークなものだった。気になる方は、是非本誌をお読み下さい。

大橋歩さんの雑誌「アルネ」にも自宅の写真が掲載されていて驚いたが、こちらはさすがオーディオ雑誌、気になる村上春樹のオーディオシステムも紹介してあった。なんと、CDプレーヤーとアンプは、オカダが今使ってるのと同じメーカーのものだった。さすがは村上春樹、趣味がいい。

そして、本誌の姉妹誌『ステレオサウンド』に村上春樹が『音楽のある場所』に音楽に関するエッセイを連載しているのだが、それが今秋単行本化されるとのこと。これも今から楽しみだ。

Q2,村上作品を読むと、どっちの気分になる?

A、短パン、Tシャツで海辺へ。『遠い太鼓』に書かれていた、村上春樹がギリシアで暮らしている様子を思い浮かべた。

一方のドレスアップというと、ヨーロッパに住んでいたときよくクラッシックのコンサートへ出かけたということが、上の雑誌に書かれていた。そのときはやはりドレスアップしたのだろうか。

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2005.06.10

『がんばっていきまっしょい』文庫本、本日発売

『がんばっていきまっしょい』の原作の文庫本、幻冬舎から本日発売ですね。本屋さんの店頭にはもう並んでいるでしょうか。

オカダは昨日bk1 に注文しました。たぶん明日には届くでしょう。斎藤美奈子さんが書いている解説も楽しみです。

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2005.06.09

論理の効用

sivadさんが、レトリックの効用 というエントリーで、内田先生の空文の効用 について書いていて、興味深く読んだ。そして、いくつか疑問を感じた。先生の当該エントリーについてはオカダも論理という道具 でちらっと触れたことがある。

内田先生の、

世界中に平和憲法がこれだけあるのに、世界からは戦争がなくならない。

だから、平和憲法は空文である。

ここまでは推論として間違っていない。

という文章についてsivadさんは、

一見論理的に見えるこの文章。実は、大きな論理的接続を欠いています。つまり、A→Bに見えるけれど、本当はA→(B)→Cとなっていて、Bは巧妙に隠されているのです。

さあ、「B」がお分かりでしょうか。

答えは、「平和憲法は世界から戦争をなくす効果を果たすものである」という命題です。

すなわち、本来は「世界中に平和憲法がある→平和憲法は世界から戦争をなくす効果を果たすものである→世界からは戦争がなくならない→よって憲法は空文」となるはずのものが、途中をすっ飛ばされているわけです。

「平和憲法は世界から戦争をなくす効果を果たすものである」は自明だろうという方ももしかしたらいるかもしれませんが、「平和憲法」とは基本的に「自国の戦争の放棄」を謳ったものであって、これは論理的には「世界から戦争をなくす効果を果たすもの」とはなり得ません。この辺りは当該エントリへのbewaadさんのTBhttp://bewaad.com/20050517.html#p03がよく説明してくれていると思います。

従って、この文章は本来Bの時点で論理的に破綻しており、その後の議論は無効になるわけです。しかし、レトリックによってそれを気づかせないのは、流石というべきでしょう。

まず、『「平和憲法」とは基本的に「自国の戦争の放棄」を謳ったものであって、これは論理的には「世界から戦争をなくす効果を果たすもの」とはなり得ません。』という点について。

戦争とは、辞書的な意味で言えば基本的に2国間の武力による争いのことだ。片方の国が戦争の放棄を宣言(もちろん、自衛権は放棄しない)した場合、もう一方の国は、それを100%信用することはないにしろ、攻撃を受ける可能性は低下するので、緊張状態が緩和され、ある程度戦争をなくす効果をもたらすのではないだろうか。もちろんこれは一般論であるが。

bewaadさんのエントリー では、もし戦後アメリカが朝鮮戦争に参加しなかったら、あるいは日本を占領しなかったら、9条は戦争をなくす効果を持ち得なかっただろうという特定の事例の、それも仮定の話をしているが、『「平和憲法は世界から戦争をなくす効果を果たすもの」とはなり得ません』という命題を論証しているものとは読みとれなかった。

さらに、再度引用するが、

世界中に平和憲法がこれだけあるのに、世界からは戦争がなくならない。
だから、平和憲法は空文である。

sivadさんは『「平和憲法」は「世界から戦争をなくす効果を果たすもの」とはなり得ない』故にこの文章は論理的に破綻していると書いているが、そもそもこの文章は、改憲論者の主張の前提となっているものであり、内田先生はその主張を反証するためにとりあげたものである。先生は「ここまでは推論として間違っていない」と書かれているから、それを肯定してはいる。従って、「平和憲法」は「世界から戦争をなくす効果を果たすもの」とはなり得ない』という命題が正しいとすれば、先生の「空文の効用」自体が意味のないものになるということにはなる。

しかし、そうだとしても、「内田氏の文章は、実は見た目ほど論理的ではありません」ということを論証するために、先生が反証している相手の、主張の前提の文章について取りあげるというのは、あまり意味があることとは思えないのだが。

また、エントリーの後半部分で、sivadさんは『しかし、そのあと日本国憲法はその「空文」を宣告された不戦条約の条項を再び掲げることによってとりあえず戦後60年間戦争をしないできた。』ということは既決事実ではないと主張されている。

これがよくわからないのだが、bewaadさんがエントリーで書いているように「憲法9条は空文ではない」という意味なのだろうか、『「戦後60年間戦争をしないできた」というのは事実ではない』という意味なのだろうか、それとも『「戦後60年間戦争をしないできた」のはアメリカのおかげである』という意味なのだろうか。

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2005.06.07

蛍(『ノルウェイの森』その3)

家の近くの神社に蛍がいるという話を聞いて、見に行った。境内へ上がる石段横の林の中に、微かな光が見えた。脇道の方へ回ってみると、青白く点滅するいくつかの光が見えた。薄暮の中ではかなげに瞬いている様は、とても幻想的だった。近くを飛んでいる蛍をつかまえて、手のひらに乗せてみる。とても小さく、1cmないくらいの大きさだった。成虫として生きていられるのはわずかに10日ほどだという。すぐ手から放した。

そして、『ノルウェイの森』の中に出てくる蛍を思い出した。<僕>が寮の屋上の給水塔に上って、<突撃隊>からもらった蛍を逃がす場面。それは、映像的に印象に残るシーンの多い『ノルウェイの森』の中でも、最も美しい光景のひとつだと思う。

寮の給水塔から見た風景の写真が載っているサイト >「ノルウェイの森」の風景

火曜日恒例の村上モトクラシ大調査、第8回。

Q1 村上春樹作品を読んでこんな影響を受けた

答は、料理など家事が好きになった。

オカダにとっての家事とは、もちろんアイロンをかけることだ。何となく気分が落ち込んだときには、ボタンダウンのシャツやチノパンツに丁寧にアイロンをかけていると、不思議と気持ちが落ち着いてくる。どれもコットンだから、うまく仕上げるにはちょっとしたコツが要る。村上春樹が発明し、オカダが固めた。

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2005.06.03

『がんばっていきまっしょい』ドラマの主題歌

サンスポニュース によると、TVドラマ『がんばっていきまっしょい』の主題歌を歌手のaikoさんが歌うことが決定したそうです。まだタイトル未定とのことですが、どんな曲なのか楽しみですね。

映画の主題歌、リーチェの『オギヨディオラ』は美しい映像にマッチした、本当に素晴らしい曲でした。今でもサントラ盤をよく聞いています。

また、原作者の敷村良子さんのサイト 更新されていて、『ドラマ化にあたって』考えたことと、ロケ現場を訪問したときの様子が掲載されています。文庫本も6月10日(もうすぐ!)発売とのことです。

おまけに、映画版のトリビアを。
広告武士さんのブログ で知ったのですが、映画には、歌手の森山直太朗さんがボート部員の役で出ていたそうです。オカダは全然気づきませんでした。クレジットを見ると、「相良直太朗」と出ています。お母さんの森山良子さんが悦子の母役で出ていたので、その繋がりからの出演だったのでしょうかね。

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2005.06.02

映画『トニー滝谷』

映画『トニー滝谷』を見た。映画館で映画を見るのは本当に久しぶりだった。村上春樹原作の映画が製作されたことは知っていたが、大都市のミニシアターで公開されたという話だったので、松山では無理だろうなと諦めていた。ところが、松山で唯一のミニシアター「シネマルナティック」というところで2週間だけ公開されるというのを新聞記事で知り、早速出かけた。

原作は村上春樹の短編小説集『レキシントンの幽霊』に収録されていた同名の小説。監督・脚本は市川準/音楽:坂本龍一/出演:イッセー尾形、宮沢りえ ナレーション:西島秀俊。

『レキシントンの幽霊』が出たのは96年。もう9年も前だ。印象に残っているの表題作の『レキシントンの幽霊』で、『トニー滝谷』については、読んだ記憶はあるが内容はきれいさっぱり忘れていた。そのおかげでストーリーを楽しむことができた。

ちょっと余談だが、昔「読んでから見るか、見てから読むか」という映画(たぶん、角川映画?)のコピーがあった。映画にしろ小説にしろ、ストーリー(物語)は非常に重要な要素だから、どっちを先にするしにろ、後からする方については十分に楽しむことはできないと思う。

さて映画は、全体的に淡いトーンの美しい映像、ピアノによる透明感溢れる音楽。独特のセリフ回し。自然でゆったりとした場面転回。原作の持つ「孤独感」と「喪失感」を、この映画はとてもうまく表現していた。

そう、「孤独感」と「喪失感」。それはすべての村上春樹作品に通底しているものだと思う。そしてそれ故に、僕は村上春樹の小説を愛しているのだ。

大森一樹監督作品の『風の歌を聴け』には正直失望させられたが、この映画は、村上春樹ファンとしてもとても満足できる仕上がりだと思う。この監督による『ノルウェイの森』も見てみたい気がする。

イッセー尾形が主役だというのは聞いていて、少し不安だったが、全くの杞憂だった。イッセー尾形だからこそうまく演じることができたのだと思う。でもさすがに、大学生の役はキビしい気がしたが。

そして何より宮沢りえが素晴らしかった。2役を演じているのだが、見事に演じ分けていて、特に20歳そこそこのB子役も、全く違和感を感じられず、非常に魅力的だった。いろいろあったが、そのことが女優としての今に繋がっているのだろう。

映画を見終わっても、しばらく現実の世界に戻ることができない、そんな映画だった。

映画『トニー滝谷』の公式サイト 感想を書き込めるBBSもあります。

つけたし。トラックバックを打つために、アンケートにもふれておこう(笑)。

第7回村上モトクラシ調査
1・「45°」と「3ねん2くみ」、どちらもラブホテルの名前ですが、泊まってみたいのはどちらですか?

オカダは、45°。これって、アレのアレのことじゃなかったんですね。前々回の「全裸家事主婦」の質問といい、灯台守のマツモトさんはそっち系のネタがお好きなのだろうか。

2・村上春樹さんが翻訳をした以下の作家の方々の中で、一番好きなのは誰ですか?

オカダはスコット・フィッツジェラルド。「ザ゙・スコット・フィッツジェラルド・ブック』を読んで、その生き方に興味を持ったから。ちなみに、『グレート・ギャツビー』はつい最近買ったけど、積ん読中。

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2005.06.01

メディアの存在意義

内田先生がブログ で、メディアについて語っておられるので、ちょっと長いが引用させて頂く。

メディアの仕事は、「情報の発信」ではなく、怠惰な読者が回避したがるこの「文脈の形成」という作業を代理することである。
ある出来事を報じるときに、それとまったく違う時代に違う場所で起きた別の出来事を「並べる」ことによって、その出来事の解釈は一変する。
出来事の報道そのものを改変する必要はない。
それを「どこに」置くか、何の「隣に」置くかで、解釈の幅や方向はまったく別のものとなる。
複数のメディアが併存しているのは、同一の出来事を報道する「違う文脈」が必要だからである。
同一の出来事の報道を「どの文脈」で読むともっとも「意味」として厚みや深みがあるのかを私たちが検証し、吟味できること、それがメディアが私たちの社会に存在することの意義である。

多くの(ほとんどの)メディアは、すべての出来事を「人間、所詮は色と欲」と「明日も昨日と同じことが起きるであろう」というチープな物語に詰め込んで毎日飽きずに報道している。

全くもって先生のおっしゃるとおりだと思う。ではなぜメディアがそうであるのか。それは、多くの(ほとんどの)情報の受信者が、そのようなチープでわかりやすい物語を望んでいるからだろう。政治家の質が、その周囲の有権者によって左右されるように、メディアの質もその受信者によって左右されるということだ。

そういうメディアの質を改善させるためには、情報の受信者の側が、チープでわかりやすい物語で満足せずに批判の声を上げることが必要だ。その意味で、受信者が声を上げるためのインターネットという道具を手に入れた意義は非常に大きいと思う。

そして、インターネットを通じて「文脈の多様性・物語のゆたかさ」を生成し続けるようなメディアを見出し、支援することも重要だ。

また、メディアが相互に批判しあうことも大切なことだと思う。そのためには、TV、ラジオ、新聞といったマスメディアがお互いを批判しやすくするために、資本提携を制限し、独立を維持させるようにすべきだと思う。

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