議論の作法
先日の拙エントリー論理の効用 について、sivadさんのレトリックの効用 というエントリーへのコメントという形で、turbさんからコメントを頂いたのでお答えする。
turbさんが、コメント欄に
- 内田先生の該当箇所の問題部分は、
「平和条項は空文だ」という論者の推論過程を追うように見せかけて「世界から戦争がなくならないから」という誰も主張していない(言い過ぎかもしれないので「ほとんど」としておきます。)理由を空文論に与え、そうやって作り上げた攻撃しやすい論に対して批判をしているという点にあると思います。
つまり問題は「論理破綻」ではなく「攻撃対象のすり替え」であるということです(むしろ、すり替えの枠内では極めて論理的です)。
岡田さんのエントリーに対する、これは答えになると思います。sivadさんもこの箇所については、本当はこのすり替えを問題だと感じていらっしゃったのではないでしょうか?
と書いていた。これは、内田樹先生のエントリー空文の効用 に対する批判である。
先生の当該エントリーには、
- 世界中に平和憲法がこれだけあるのに、世界からは戦争がなくならない。
だから、平和憲法は空文である。
という改憲論者の主張を取りあげておられるのだが、turbさんは、そのようなことはほとんど誰も主張していない、と書いている。この点に、turbさんとオカダの認識の違いがあるようだ。turbさんの認識が正しいとすると、確かに内田先生の『空文の効用』における主張自体があまり意味のないものとなる。
しかしオカダの認識では、改憲論者の典型的な主張は、
国家間での争いはなくならず、それを実効的に解決する機関はまだ存在しない
よって、世界から戦争はなくならない
よって、日本も自衛のための武力を保持すべきだ
よって、憲法9条にもそれを明記すべきだ
というものだ。日本が憲法で平和主義を唱えたところで無意味だ、即ちそのような平和憲法は空文だ、という主張は、近年よく見聞するところだ。
このような、改憲論者の主張に対する認識の違いが存在するとは、内田先生も考えておられなかったのではないだろうか。不特定多数の人に対して、自分の考えを主張することの困難さを改めて感じた。
また、sivadさんには、先の拙エントリーに対してできれば「きちっとした反論」をして欲しかったのだが、してもらえなかった。少々残念だが、返答するかどうかはあくまでもsivadさんの自由なのだから仕方がない。自由であるべきブログ空間で、「返答しないのは倫理がない」など言うのは節度がない行為だと思う。自戒したい。


Comments
どもです。
一応なんとなくお答えした気になってましたが、あまりはっきりとした答えでなくてすみませんでした。
簡単にお答えしますと、現実的にはbewaadさんの見解が妥当でしょうし、「不戦条約の条項を掲げること」と、「戦後60年間戦争をしないできた」ことの因果関係ははっきりしていませんから、既決事実とはいえません。
不戦条約がなければ戦争が必ず起こるともいえないし、あれば必ず戦争を防げるとも限りません。
不戦条約は外交的には「日本は他国で軍事活動をしない、侵略をしない」という「メッセージ」を送る以上の効果はありません。ついでにいうと、改憲派の大多数が問題にしているのは「不戦」ではなく「軍事力の放棄」のほうで、これは空文というより明確に「ウソ」なわけです。参考までに。
長文失礼しました。
Posted by: sivad | 2005.06.17 at 10:11 PM
sivadさん、さざわざコメントありがとうございます。やはり論点がかみあってませんね。憲法問題については、改めて書きたいと思ってますので、また御意見をお聞かせ下さい。
Posted by: オカダ | 2005.06.17 at 10:31 PM
僕は、内田さんの
「世界中に平和憲法がこれだけあるのに、世界からは戦争がなくならない。
だから、平和憲法は空文である。」
という言葉を、誰かが語ったものというよりは、ある事実を元にした推論を一般的に語ったものと受け取りました。つまり、論理的に成り立つものなので、誰でもそう主張することが出来るものとして提出していたのだと受け取りました。
これを、文字通りに、この文言で語ったと受け取ると、そんな人はいないという議論になるのかも知れません。
しかし、論理的にこのような帰結が出来ると考えて、それに続けて、「だから憲法9条は変えなければならない」と推論を進めていくのは間違いだと指摘したのだと思います。あくまでも一般的な論理の問題として語っているのだと受け取りました。
一般的な論理の問題として語っているのですから、それを誰が言ったのかと詮索するのが的はずれのような気がします。論理的な展開が出来るのですから、論理が分かる人なら、誰でも言えるのです。しかし、その論理の流れを改憲に結びつけるのは論理の誤りだ、という指摘だと思います。
Posted by: 秀 | 2005.06.18 at 10:48 PM
秀さん、こんばんは。
「しかし、不思議なのは、このような網羅的な憲法研究の結論が、「だから日本国憲法第九条は空文だ」というものに落ち着くことである。」
という一文から考えると、一般論ではないように思います。
もし先生が「9条は空文だ」という誰かの特定の論文を批判の対象にしていれば、「敵のいないところを撃っている」というような批判を受けずに済んだのでしょうが、そうするとまたその対象論文の解釈の違いの問題が出てきたりするのは目に見えてますから、あのような抽象的な主張にまとめられたのでしょうか。
Posted by: オカダ | 2005.06.20 at 08:02 PM
「敵のいないところを撃っている」という意味は、
「世界中に平和憲法がこれだけあるのに、世界からは戦争がなくならない。
だから、平和憲法は空文である。」
と語る人間はいないということだろうと思います。これを文字通り、この表現を使う人間はいないのだ、という意味で考えると、一言一句、この通りに語る人間はいないんじゃないかと思います。
もし内田さんが、具体的な誰かの言葉を参考にして考えたのなら、もっと使われるような表現をしたのではないでしょうか。
僕は、むしろ安全保障に関して現実的な効果を期待する人間が、9条を排斥したくなったら、このような論理を使ってくるだろうと内田さんが想像したものを語ったのだと思います。
9条をもっていても、現実の安全保障には役立たないという主張の本質を捉えると、「9条は空文である」というものになるのだと考えたのではないかと思います。
だから、現実的な安全保障を期待する人間が、「9条は空文である」と思わないようであれば、「敵のいないところを撃っている」ことになるのだろうと思います。
でもこれは矛盾しますよね。9条では現実の安全保障が期待出来ないと思う人間は、それによって「9条は空文である」という判断をしているのと同じなんですから。
Posted by: 秀 | 2005.06.20 at 11:44 PM