少し前に映画『間宮兄弟』のDVDを見た。原作の小説はとても面白くて、感想をここでも書いていたのだけど、映画の方は、ちょっと期待ハズレだった。それで、映画の感想は書かずにおこうと思っていたのだけど、ふと内田樹先生のサイト内の「おとぼけ映画評」を見ていたら、なんとこの映画のレビューが掲載されている! それでちょっと感想みたいなものを書いておくことにした。
さすがは内田先生。読み(視聴)が深い。冒頭から、これは「オタクのための映画」ではなく、「オタクについての映画」です、と本質を突いてくる。
オタクがもっとも愛するものは何よりもまず「精密で機能的なメカニズム」です。
「間宮」という姓が「田宮模型」と「マブチ・モーター」という、日本のオタクたちが変わらぬ敬意を捧げる「決して裏切らないメカニズム」のメーカーに対するひそやかなオマージュであることに、みなさんはお気づきになりましたか?
そうだったんですか。全然気づきませんでした。orz まだまだ修行が足りませんなあ。
オタクは「決して裏切らないもの」に忠誠を誓います。
ですから、オタク男性の最初(にして最大)の偏愛の対象がしばしば「母親」であるのも当然のことです。この映画では中島みゆきが間宮兄弟を圧倒的な愛情で包み込む母親を演じています。
なるほど。「すべての男はマザコンである」と姫野カオルコさんも言っているように、オタクのみならず男にとって母親は特別な存在だ。その意味で、兄弟と母親とのシーンは不可欠のものだったのだろう。しかし、母親役がなぜ中島みゆき?、というのがこの映画について感じた最大の違和感だった。
いささか分析的な言い方になりますけれど、オタクたちはうっかりと「若く美しい女」との関係が好調に展開しそうになると、むしろそれを進んで台無しにして、「オタクに惚れる女はいない」という不易の真理を確認しようとします。不思議なことに、本人たちは自分たちが無意識のうちにそんな行動を選択していることに気づいていません。
「どうせオレはオタクだから」と、わざと女性に嫌われるような行動をとってしまう、という心理はよくわかる。
でも、そもそも、間宮弟が二人の若く美しい女性(常盤貴子、北川景子)を兄のために取り持とうとするのは、「若く美しい女性」の方がそうでない場合よりも兄の期待を裏切る可能性が高いことを彼が知っているからです。弟は兄の恋が成就しないことをひそかに望んでいるのです。でも、彼は自分がそんな欲望を持っていることを知りません。
間宮弟の気持ちもよくわかる。本当は、自分が先生と付き合いたいのだ。でも最初からダメだと諦めているからこそ、兄に紹介しようとしたのだろう。もちろん、うまくいかないことを予期しながら。
この映画にはナレーションがない。だから、小説と違って登場人物の内面に入り込むことができない。だから、「オタクについての映画」でありながら、オタクの内面を深く描いていないと感じて、もの足り無さを覚えたのだ。でも、さすがに内田先生、恐らく原作は読んでいないだろうけど、画面上から鋭く切り取って見せてくれたのには脱帽するしかない。
そもそもこの映画の監督・脚本の森田芳光は、映画の公式サイトのメッセージを読む限り、「オタク」をこの映画の中心に据えてはいないようだ。
他に違和感を感じたのは、破天荒な性格の先輩役の高島政伸に象徴されるような、この映画のもつ独特のユーモラスな味わいが、原作のもつやや悲しげなトーンとは明らかに異なるものだったということだ。
もう1つ、全体に画面が暗くて映像が美しくなかったのも期待はずれだった。冒頭の、夕暮れの操車場でのシーン、ただ薄暗いだけの映像だった。もう少し綺麗に撮って欲しかったなあ。あと、みんなで花火をするシーン。あれこそ最高の見せ場になるはずのシーンだと思うのに。とても残念だった。
ただ、原作を先に読んでなければ、もう少し楽しめたのかもしれない。
彼らはまさに「お宅」(chez soi)に釘付けにされていることそれ自体から尽きせぬ快楽を汲み出すことのできる人々なのでした。
それができるのは、まさに兄弟2人で寄り添って生きているからだろう。「兄弟」を持たないオタクたちは、こうやってネットに繋がることで「兄弟」の代替となる他者を求めるしかないのかもしれない。
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