2012.11.22

『ぼくの住まい論』&『みんなの家。』

今年もだんだん終わりに近づき、何となく慌ただしい毎日を過ごしている。ようやく年賀状の準備にも取り掛かったものの、いつもより遅くなってしまい、やや焦り気味。

そんな中、昨年11月に完成した内田樹先生の御自宅兼道場に関する本を2冊読んだ。

まずは、建物の設計者である光嶋裕介さんの『みんなの家。』アルテスパブリッシング。
光嶋さんは、縁あって内田樹先生から建築家としての初めての仕事を依頼され、それに応えるべく奮闘する。プロフェッショナルとしてのその姿勢には頭が下がる思いがして、オカダも襟を正さねばという気持ちになった。

一方、実績ゼロの建築家に依頼した先生の度量の大きさには感嘆させられた。その考え方は、『ぼくの住まい論』新潮社の方で明らかにされていて、なるほど、そういうことを考えていたのかと納得させられた。

「住まい」について語るうちに、それが人間論、社会論、果ては文明論にまで行き着くところがさすがという他ない。

いつの日か「凱風館」を訪れてみたいなあ。

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2012.10.12

『ダ・ヴィンチ 2012年 10月号 いまこそ、村上春樹』

残念ながら今年も村上春樹のノーベル文学賞受賞はならなかった。オカダ自身はさほど気落ちしていないのだけど、内田樹先生の受賞記念原稿が読めないのが残念。来年こそ受賞できるといいのだけど。

先日たまたま本屋に行って『ダ・ヴィンチ 2012年 10月号』を見たら、村上春樹特集だったので速攻で買ってきた。

特集の最初は『村上春樹メールインタビュー』。自分の作品についての質問にはいささかぶっきらぼうな感じで答えているけど、音楽についての質問などは率直に答えているのが印象的だった。

特集の後半には、内田樹先生による、これから村上春樹を読み始める若い読者のためのキーワードガイドが載っていた。

その1は「空虚ーあるいはドーナツの穴」。その2は「コスモロジカルに邪悪なもの」。その3はおなじみの「センチネルたちの仕事」。そしてその4は「ここではない世界」。

その他、なかなか内容の充実した特集だった。そういえば、『ダ・ヴィンチ』を買うのは久しぶり。この雑誌が読者と想定している対象から大きくはずれてしまったような感じだし。

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2011.12.16

『呪いの時代』

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いよいよ今年もあと2週間ほど。こちらも今日はぐっと冷え込んだ。シャコバサボテンの花が咲き始め、ついに本格的な冬がやってきた。

きのうから年賀状の受付が始まり、オカダはとりあえず半分を投函した。手間の掛かる残り半分も、早めに出してしまいたい。来年こそ15日に全部投函したいなあ。

そういえば、きのう喪中欠礼のハガキが届いてひやっとしたけど、まだ出してない相手からだったのでほっとした。こういうことがあるからあまり早く出すのも考え物かも。

そんな中、ようやく内田樹先生の 『呪いの時代』 新潮社 を読み終わった。お忙しいのによく書けたなあと思ったら、月刊雑誌『新潮45』に不定期に寄稿したものに加筆修正したものだった。

第1部は「日本のことを考える」、第2部は「未曾有の震災の後に」で、全部で11章からなっている。全体の主題は「呪詛」と「贈与」だそうだ。

そして第1章「呪いの時代」は、「『呪い』は今や僕たちの社会では批評的な言葉づかいをするときの公用語になりつつあります」という一文で始まる。メディアに呪いの言葉。が溢れている状況と、それに対して呪いを解除する方法について述べている。

全編通して、まさに卓見。相変わらずラディカルで切れ味鋭い批評はさすが。特にこの第1章と第10章の「荒ぶる魂を鎮める」は圧巻の現代文明批評だった。

オカダも、「呪いの言葉」を使うのを避けて、できるだけ祝福の言葉を使うようにしたい。

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2011.12.09

内田樹先生講演会「伊丹十三と『戦後精神』」その2

<前回の続き>

柴五郎は、会津藩出身の軍人。映画『北京の55日』は、義和団事件を題材にしたもので、そのとき活躍したのが、日本軍を指揮した柴五郎。彼は、会津魂、サムライ的エートス(性格・習性など、個人の持続的な特質)を持っていたいう。陸軍士官学校では秋山好古と同期だった。柴の勇敢さと礼儀正しさは各国に賞賛され、日英同盟成立のきっかけをつくった人物と言われている。

#「柴五郎」で検索したら、内田樹先生の2007年1月2日の記事「柴五郎のこと」がヒットした。こちらも是非お読み下さい。

この柴五郎こそ、伊丹氏にとって心に足る日本人であり、理想の人物だったのではないか、と先生はいう。

『日記』では、日本のミドルクラスの醜悪さ、陋劣さ、自己規律のなさ、を厳しく批判している一方で、日本の伝統的、儒教的な美点についての礼賛も繰り返し書かれている、という。

また、ヨーロッパ人の、自国文化に対する誇り、愛着を持つ態度を繰り返し賞賛している、とも。

そして、日本の伝統的な質の高いものに対する敬意が、敗戦によって失われてしまったことに対する憤りを読み取れるそうだ。

つまるところ『日記』は、「日本人よ気概を持て」と、日本人全体を教化いようとした「呼びかけ」だったのではないか、というのが先生の推論。

先生は、伊丹氏は「ノーブル」な人だった、という。伊丹氏が映画で、それまで誰もできなかった、暴力団や宗教といったタブーに切り込む勇気を示したが、その勇気を担保したものは、「我々は醜悪であってはならない」という、サムライ的エートスだったという。

そして、村上春樹の『1Q84』を例に引き、伊丹氏もまた、非人間的なものの進入を防ぐという意味で「境界を守る人」すなわち「センチネル」もしくは「キャッチャー」だったという。

今の日本には「境界を守る人」がどんどん少なくなっていて、「呪いの言葉」が巷に溢れているという。

だから、今現在「境界を守る人」として活動している人は、どうか頑張ってください、というエールの言葉で、講演を締めくくった。

先生は終盤、「ついつい真面目な話に終始してしまいました」と言っていたけど、非常に内容の濃い、高度な内容の話だった。一冊のエッセーから、ここまで豊饒な意味を汲み取ることができるとは、さすがは内田先生。一応メモを取りながら聴いたのだけど、どれだけ理解できたか、そしてそれをこの記事で再現できたか、非常に心許ない。

先生の声は、以前インターネットで聴いたことがあったのだけど、そのときの印象と比べてかなり流暢かつマイルドで、話し慣れてる人の声だと感じた。

とにもかくにも、こうして先生の生講演を聴くことができて、本当によかった。凱風館も、いつか訪れてみたいなあ。

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2011.12.02

内田樹先生講演会-伊丹十三と『戦後精神』

11月29日に開催された内田樹先生の第3回伊丹十三賞受賞記念講演会を聴きにいった。開場時間の少し前に会場に着くと、既に長蛇の列。約900人収容可能のホールは、忽ち満員に。客層は若者から年配まで幅広かったけど、やや年配の人が多い感じだった。

定刻になって、まず伊丹十三記念館の館長で女優の宮本信子さんが挨拶。ストールを巻いてシックな出で立ちだった。今日の講演会の申込みは、ものすごく多かったそうだ。そして内田樹先生を呼び込んだ。

先生は、ダークグレーのスーツにブルーのボタンダウンシャツ、紺系統のチェックのネクタイ、ズボンにはサスペンダーというスタイルで登場。

お二人は空港で落ち合い、『海鮮北斗』というお店で昼食を共にした後、記念館を訪れたそうだ。そして、館内で会ったお客さんに、「先生、『海鮮北斗』で御食事されたんですね」と声をかけられたとのこと。それは、先生がツイッターでつぶやいたのを読んでいたからだそうだ。

その後、いよいよ先生の講演が始まった。先生は、ツイッターでもつぶやいていたとおり、講演直前まで話す内容が決まらなかったとのことで、「こういう時は「なぜ伊丹十三について語ることに私は困難を覚えるのか?」という問いから始めるというのが、割りとうまくいくんです」ということで、そこから話を始めた。

講演に向けて大量のメモ書きを書いたけど、うまくまとめることができなかったそうで、それは、できあいの自分のスキームではまとめることができないということだから、そういうときには次数を一つ繰り上げて考えてみるのが有効だという。それが、「なぜ伊丹十三について語ることに私は困難を覚えるのか?」という問いから始める、ということだそうだ。

まず先生は、1933年生まれで、終戦時12歳だった伊丹氏の「戦中派」としての世代的傾向に注目した。32年生まれの江藤淳も同世代だという。少年期、戦争の大義を信じていた伊丹氏は、敗戦によってそのイデオロギーが崩壊するのを目の当たりにした。そこで伊丹氏は、その戦前に残した「半身」を奪還する試みを行おうとしていたのではないか、という。それは、戦前にあって、戦後もなお生き延びさせることの可能なものを探し続けるということだった、と。

そして先生は、十代の頃伊丹氏の『ヨーロッパ退屈日記』やその他のエッセイを何度も繰り返し読んだそうだ。そして、この『日記』の中に書かれていないことに注目した。

伊丹氏のヨーロッパ滞在は、映画『北京の55日』のスクリーンテストを受けるためのものだった。この本には書かれていないけど、伊丹氏は「柴五郎」の役をどうしても演じたかったのではないか、という。

<長くなったので、続きます>

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2011.11.04

『おせっかい教育論』

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11月に入っても、日中は暑い日が続いている。一時は全滅しかけた庭のラベンダーが、どうにか復活して花を咲かせている。

にわかガーディナーとして最初に植えたのがこの花なのだけど、何しろ家の敷地の片隅の、目につき難い、ホントにネコの額ほどのガーデンの、水やりのし難い場所にあるので、ついつい手入れが疎かになりがちなんだけど、なんとか維持していきたい。

そんな折り、去年買ったまま、未読本の山に埋もれていたのをたまたま発掘した、内田樹先生他、鷲田清一、釈徹宗、平松邦夫各氏の共著による『おせっかい教育論』140B を読んだ。

鷲田さんは大阪大学総長(当時)、現大谷大学文学部教授、釈さんは浄土真宗本願寺派住職、平松さんは大阪市長。内田樹先生のブログの読者にとっては、三人はお馴染みのメンバーだろう。

この本には、2009年10月1日、大阪市中央公会堂で「ナカノシマ大学キックオフ記念セミナー」という名で行われた座談会、(「21世紀は街場で学べ!」というタイトル)の様子と、第二夜として2010年1月18日にレストランの一室で行われた座談会の様子が記されている。

そして、「はじめに」で釈さん、「中入り」で鷲田さん、「締めくくり」で内田樹先生、「あとがき」で平松さんがそれぞれ一文を寄せている。

4人の持論に共通しているのは、「教育とはビジネスではなく、個人の利益追求でもなく、もちろん商品でもない。その本質は「おせっかい」である。」 というもの。釈先生曰く、この本は「おせっかいの連鎖」のススメであると。そして反「グローバル人材育成教育」を謳うものでもある。

「学ぶ」ということと「教育」につい、て非常に得るところの多い本だった。元アナウンサーの平松さんの、控え目で穏やかな「ジェントルマン」ぶりには好感が持てた。

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2011.09.30

『最終講義 -生き延びるための六講』

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彼岸花が咲き、お彼岸も過ぎて、少しずつ秋が深まっていくのを感じる。こちらでは今日雨が降って、昨日までに比べて涼しくなった。

そんなおり、内田樹先生の『最終講義 -生き延びるための六講』技術評論社 を読んだ。この本は、2011年1月22日に神戸女学院大学で行われた最終講義の他に、「日本の人文科学に明日はあるか(あるといいけど)」、「日本はこれからどうなるのか? "右肩下がり社会"の明日」、「ミッションスクールのミッション」、「教育に等価交換はいらない」、「日本人はなぜユダヤ人に関心をもつのか」といった6本の講演を収めた、先生初の講演録。

そして「最終講義」では、神戸女学院大学に迎えられてからこれまでを振り返り、この大学で学んだ二つの大きな教訓、「キリスト教精神」と「ヴォーリズの建物」について語っていて、最後に本学の学院標語の「愛神愛隣」についての話で締めくくっている。

神戸女学院大学への愛に満ち溢れた、非常に感動的な内容で、ライブで聴きたかったなあ。きっと最後にスタンディングオベーションしただろうなあ。

いつか岡田山のキャンパスを訪れて、ヴォーリズの建物をこの目で見、先生のお話を生で聴きたいと常々思っていたのだけど、とうとう果たせずじまいだった。

そのかわり、先生のブログでも告知されているとおり、伊丹十三賞受賞記念講演が松山市で開催される。オカダも待ちきれずに伊丹十三記念館に問い合わせをしてしまった一人。素早く丁寧な返信を頂いた。応募者多数の場合は抽選となるようだけど、当選するといいなあ。

その他の講演も内容の充実したライブ感溢れるものだった。特に最後の「日本人はなぜユダヤ人に関心をもつのか」は、明治維新以降の日本人を考える上でなかなかためになる内容だった。

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2011.08.12

『嘘みたいな本当の話』

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どこから種が飛んできたのか、播いた覚えもなく、こぼれるはずもない、アメリカアサガオでないアサガオの花が咲いていた。アメリカアサガオとでは葉っぱの大きさが全然違う。

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この夏、ボランティアやら何やらで、いささか忙しい。海辺での海鮮バーベキューパーティーを二晩続けて主宰したら、夏バテで体重が2キロ落ちてしまった。

そんなおり、内田樹先生と高橋源一郎さんが編集した『嘘みたいな本当の話 [日本版]ナショナル・ストーリー・プロジェクト』イースト・プレスを読んだ。

ポール・オースターが呼びかけ、全米から体験談が寄せられた『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』の日本版ということで、アマゾンのWeb文芸誌『マトグロッソ』上で募集&発表された、第1回から第30回までの149作品を本に編んだもの。ちなみに現在は第48回の作品が発表されている。

いくつかのテーマに分けて募集したということで、、それぞれ印象的な作品があった。オカダが一番面白いと思ったのは、「そっくりな人の話」の中の『気の利く後輩』。

巻末に内田樹先生と柴田元幸さんとの対談が載っていて、アメリカ版との違いについて書いてあったので、次はそっちも読んでみよう。

割とすらすら読めるんだけど、中には人間の本質に迫ったようなものもあって、なかなかいい本だった。内田樹先生のブログで告知があったとき、オカダも応募したいと思いながら、結局何も思い浮かばないままだ。これからそういう体験に遭遇できたらいいなあ。プロジェクトが続いてるうちに。

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2011.04.28

伊丹十三賞

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終わりかけのクリスマスローズの花を摘んで、部屋に飾ってみた。花瓶は、炭酸ソーダが入っていたビン。

ヒマだった前半に比べて急に仕事が忙しくなったり、歯が不調だったりと、震災以後、何か落ち着かない気分の日々が続いている。それでも、こうしてやるべき仕事があり、ひとりでゆっくりと眠ることのできる寝床があるというのは本当に有り難いことだ。

そんなおり、内田樹先生が第3回伊丹十三賞を受賞したという、うれしいニュースを聞いた。

伊丹十三賞」は、デザイナー、イラストレーター、俳優、エッセイスト、テレビマン、雑誌編集長、映画監督……さまざまな分野で才能を発揮し、つねに斬新、しかも本格的であった仕事によって、時代を切り拓く役割を果たした伊丹十三の遺業を記念して創設されたものだそうだ。

授賞理由は、世の中の事象から、人がどう生きるかまで、ひらかれた思考とやわらかい言葉で日々発言し続ける、現代的で新しいスタイルの言論にたいして、とのことで、大いに納得。まさしくこれほど授賞に相応しい人もいないだろう。

選考委員は、周防正行さん、中村好文さん、平松洋子さん、南伸坊さんの4名。中村好文さんは建築家で、伊丹十三記念館の設計をした人。

ちなみに、第1回の受賞者は糸井重里さん。第2回はタモリさん。

贈呈式の模様
http://www.itami-kinenkan.jp/award03_photo.html

ほぼ日ニュースで贈呈式祝賀パーティーの模様を見ることができます。
http://www.1101.com/news/2011-04-22.html

先生のツイッターによれば、受賞記念の講演を伊丹十三記念館で行うかもしれないとのことなので、実現したら是非とも聴きに行きたいなあ。

外出のお供に持って行って、ちびちび読んでいた『女たちよ!』を読み終わった。2、30年は時代を先取りしたセンスに脱帽!した。

いよいよ、ゴールデンウィーク。今はひたすらゆっくりしたい、というのが最近の、正月休みも含めたお決まりのパターンw。

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2011.01.07

『街場のマンガ論』

みなさま、新年あけましておめでとうございますm(__)m
今年もよろしくお願いします。

今年は年末年始に寝込むこともなく、無事に穏やかな正月を迎えることができた。
2日に初詣に行き、おみくじを引いたら「吉」だった。ちなみに「おみくじ」を、よい順番に並べると、大吉、中吉、小吉、吉、半吉、末吉、末小吉、凶、小凶、半凶、末凶、大凶となるそうだ。今年もよい年になるといいなあ。

で、年末から年始にかけて読んだのが、内田樹先生の『街場のマンガ論』小学館。この本は、さまざまな媒体に発表したマンガ論のコンピレーション。まえがきに「マンガとの出会いをイノセントな多幸感のうちに経験できた」と書いてある。

これがまあ実に多岐にわたっていて、第1章は「井上雄彦論」、第5章は「宮崎駿論」。さすが、『サザエさん』から『SLUM DUNKK』まで、50年に及ぶマンガのヘビーリーダーだけのことはあって、非常に多彩な内容だった。

中でも、第6章「マンガ断想」の中の「『エースをねらえ』にさらに学ぶ」には、人生、幸福というものに対する深い洞見に満ちていて、とてもためになった。

先生曰く、幸福な人とは、快楽とは「いつか終わる」ものだということを知っていて、だからこそ、「終わり」までのすべての瞬間をていねいに生きる人のことだ。

今年はこの言葉を胸に深く刻んで、一瞬一瞬を大切に生きていきたい。

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