<前回の続き>
柴五郎は、会津藩出身の軍人。映画『北京の55日』は、義和団事件を題材にしたもので、そのとき活躍したのが、日本軍を指揮した柴五郎。彼は、会津魂、サムライ的エートス(性格・習性など、個人の持続的な特質)を持っていたいう。陸軍士官学校では秋山好古と同期だった。柴の勇敢さと礼儀正しさは各国に賞賛され、日英同盟成立のきっかけをつくった人物と言われている。
#「柴五郎」で検索したら、内田樹先生の2007年1月2日の記事「柴五郎のこと」がヒットした。こちらも是非お読み下さい。
この柴五郎こそ、伊丹氏にとって心に足る日本人であり、理想の人物だったのではないか、と先生はいう。
『日記』では、日本のミドルクラスの醜悪さ、陋劣さ、自己規律のなさ、を厳しく批判している一方で、日本の伝統的、儒教的な美点についての礼賛も繰り返し書かれている、という。
また、ヨーロッパ人の、自国文化に対する誇り、愛着を持つ態度を繰り返し賞賛している、とも。
そして、日本の伝統的な質の高いものに対する敬意が、敗戦によって失われてしまったことに対する憤りを読み取れるそうだ。
つまるところ『日記』は、「日本人よ気概を持て」と、日本人全体を教化いようとした「呼びかけ」だったのではないか、というのが先生の推論。
先生は、伊丹氏は「ノーブル」な人だった、という。伊丹氏が映画で、それまで誰もできなかった、暴力団や宗教といったタブーに切り込む勇気を示したが、その勇気を担保したものは、「我々は醜悪であってはならない」という、サムライ的エートスだったという。
そして、村上春樹の『1Q84』を例に引き、伊丹氏もまた、非人間的なものの進入を防ぐという意味で「境界を守る人」すなわち「センチネル」もしくは「キャッチャー」だったという。
今の日本には「境界を守る人」がどんどん少なくなっていて、「呪いの言葉」が巷に溢れているという。
だから、今現在「境界を守る人」として活動している人は、どうか頑張ってください、というエールの言葉で、講演を締めくくった。
先生は終盤、「ついつい真面目な話に終始してしまいました」と言っていたけど、非常に内容の濃い、高度な内容の話だった。一冊のエッセーから、ここまで豊饒な意味を汲み取ることができるとは、さすがは内田先生。一応メモを取りながら聴いたのだけど、どれだけ理解できたか、そしてそれをこの記事で再現できたか、非常に心許ない。
先生の声は、以前インターネットで聴いたことがあったのだけど、そのときの印象と比べてかなり流暢かつマイルドで、話し慣れてる人の声だと感じた。
とにもかくにも、こうして先生の生講演を聴くことができて、本当によかった。凱風館も、いつか訪れてみたいなあ。
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