2012.01.13

『おたがいさま』

『おたがいさま』

ようやく正月気分も抜けて、ふだんの生活が戻ってきた。毎日寒い日が続いている。車を車検に出したので、今日は自転車で外回り。日中はまだいいけど、朝晩はかなり寒く感じる。次に車を買うときは、秋に車検がくるようにしよう。

そんなおり、森まゆみ『おたがいさま』ポプラ社を読んだ。森さんは、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』の編集人だった人。この本は、いろいろな媒体に掲載されたエッセイを集めたもの。

森さんは、「不参加の権利」「一人でいる自由」も大事にしながら、「温かくて風通しのいい町づくり」を長らくめざしてきた、という。オカダの住む町も、田舎ゆえに人情は厚いけど、風通しは全くよくないと感じる。そして、元気なのは他所からやってきた人たち。そういう人たちが少しでも住みやすいように、徐々にでも町をに変えていかないとなあ。

森さんは、子育て中、さんざん人にお世話になり、「悪いわね、いつかお返しするから」といったら、「私には返せないわよ、他の人に返してあげて」といわれたそうだ。

オカダ自身、「おたがいさま」という姿勢ができているかというと、全く心許ない。縮みゆく地域の中で、残されたもの同士、なんとか助け合って生きていくしかないだろうなあ。

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2010.03.18

東谷望史さんの講演会

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サクラソウの花が満開になった。3度目にしてやっと根腐れせず咲いてくれたのでとてもうれしい。花粉症のガーディナーとしては、水やりしかやってないのだけど。

そんなおり、馬路村農協の組合長、東谷望史さんの講演会があったので聴きにいってきた。馬路村農協は、高知県馬路村にあり、「ぽん酢しょうゆ・ゆずの村」や「ごっくん馬路村」という飲み物などを販売している。

東谷さんが農協に就職した頃は、林業の衰退で村の過疎化が進行していたそうだ。農業の主な生産品のゆずも、人手不足のため実のまま出荷できず、果汁にしてメーカーに売っていたが、価格は豊作のたびに暴落したという。

そこで、ゆずの販売担当に自ら志願して就いた東谷さんは、ゆずを自分たちで加工品にして売ることにして、ゆず酢などを商品化し、東京や大阪のデパートの物産展に持っていった。でもあまり売れず、デパートの常設の売り場にも置いてもらえなかったそうだ。そこで、消費者を直接結び付くことを考え、通信販売に力を入れることにして、徐々に売れるようになっていったという。

東谷さんは、自分の仕事に情熱を持ち、ゆずの販売に一生を懸けるつもり取り組んできたという。その姿勢に心を打たれた。また、非常に豊かな発想の持ち主で、時代の変化を読み取る目も確かだった。次々と新しいことにもチャレンジしていて、今は、ゆずの皮と実を使った化粧品の開発に力を入れてるそうだ。

こういう人が自分たちの町にもいれば、と嘆いてみても仕方がない。2、3人でいいからかなりの拘りを持った人たちが、30年続けていけば村おこしは成功する、という話に、少しだけ勇気をもらった。とても勉強になった講演会だった。

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2008.06.04

嗚呼、本屋が……

きのう、地元の本屋へ行ったら、シャッターが下りていて、貼り紙がしてあった。読んでみると、閉店すると書いてあった。なんですと???。いきなり閉店ですかぁ。当地は人口も減る一方だし、活字離れも着実に進んでいるようだし、経営的に楽ではないだろうなあと思ってはいたのだけど、それにしても突然だなあ。

いくらネットで簡単に買えるようになったといっても、地元に1軒も本屋がないなんて。町が衰退していくことの象徴的な出来事のような気がする。これも「御時世」ということだろうなあ。

今のところ、町が衰退していく様を静かに眺めているしかないのも事実だ。まだ諦めてはいけないと思いつつも、これといって妙案も浮かばないしなあ。

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2007.12.13

『昇る夕日でまちづくり』

若松進一『昇る夕日でまちづくり―日本一を目指した夕焼け課長の奮戦記 』アトラス出版 を読んだ。

著者の若松進一さんは、松山市の南に位置するある伊予郡双海町(現在は合併して伊予市双海町)で、町の職員として「しずむ夕日が立ちどまる町」というキャッチフレーズで独自の視点から町おこしを行ってきた人で、JR下灘駅のプラットフォームで「夕焼けコンサート」を企画、実施したり、「ふたみシーサイド公園」や「潮風ふれあい公園」のオープン、運営に関わったりして、過疎と地盤沈下に悩む漁村を、年間55万人もがやってくる観光の町にした立役者。

以前から「夕焼け課長」若松さんの御名前は知っていたのだけど、本を出していることを最近知ったので早速読んでみた。

若松さんは、父親の跡を継いで漁師になったのだけど、身体を壊して療養中に誘われて役場職員となり、公民館主事として精力的に働いてるうちに自分の町の夕日の魅力に気づき、それから夕日で町づくりをしようと動き出した。そして「夕焼けコンサート」を開催することを思いつき、それから部下のいない地域振興課の課長として、町づくりのために八面六臂の大活躍をする。この本には、その様子が達者な文章で生き生きと書かれている。

若松のすごいところは、なんといってもその発想力だろう。全国どこにでもある夕日を使って町を売り出そうなんて、誰も思いつかなかっただろう。

また、夕日が有名な全国の町を回って、どこも夕日を売り物にしていないことを確かめてから実行に移すという、緻密さも備えている。

さらに、予算がないため無給で、毎朝3時間、シーサイド公園の海岸を掃除したり、週2回「夕日のミュージアム」内の水槽の掃除をしたりしていて、アイディアを出すだけでなく自ら行動しているところが素晴らしい。そうやって自ら率先して動いているからこそ、新しいことをやろうとしても、初めは反対されても最後には回りの賛同を得られるのだろう。お役所という保守的な組織の中で、よくこれだけのことがやれたものだと感心する。

今現在は役場を定年退職されて、全国を講演して回ったり、大学で非常勤講師として教えたりと、やはり多忙な毎日を送っておられるようだ。

若松さんのブログ http://ameblo.jp/shin-1/

読んで、「まちづくり」という点でとても参考になり、刺激になった。我が身を振り返って、さて何ができるのか、ぼちぼち考えていくとしよう。

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2006.11.08

城山門前まつり

週末、天気もいいのでちょっとした旅行気分を味わうため、久しく行ってなかった松山城へ行ってみることにした。

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城山ロープウェイ駅のある通り(通称ロープウェー街)に着いてみると、露店が立ち並んでいた。今日は「城山門前まつり」というのをやってるとのこと。ミカンを始めとする農産物や海産物など、いろいろな商品を売っていた。体験学習とかで、商業高校の生徒たちが売り子をやっていて、「いらっしゃいませ」と間断なく元気な声を張り上げてる様子は微笑ましかった。

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また、獅子舞を踊っていたり、ギターを鳴らしてフォークソングを歌ったりしている人たちもいて、お客さんも大勢いて結構な賑わいだった。

このロープウェー街は、今年の春整備工事が完了して、レンガを敷き詰めた歩道の両脇にはちょっとレトロな街灯、お店の看板が並び、アーケード、電線、入り口アーチがなくなりスッキリした。道路もわざとカーブを作り、車がスピードを上げて通り抜けできないようになっている。

この整備は松山市が実施したものだそうだが、完成まで紆余曲折があったらしい。地元の人たちの意見が一つにまとまらず、なかなか着手できなかったそうだ。そこで市側は厳しい対応をとり、地元が一つにまとまるまで放っておいたという。それではいけないということで、地元の人たちはようやく意見をまとめ、市に要請したそうだ。

大勢で何かをやろうとしても、なかなか人々がまとまることは難しい。まとまるためには、やっぱり中心となる人の存在がカギになると思う。内田樹先生のエントリーに出てきた、和尚吉三のような人間、つまり『「言い出したのは私ですから、私が責任を私が取ります」と固有名において引き受ける人間』の存在が欠かせないだろう。

オカダはこの春から、地元の町づくりのための集まりに参加しているのだけど、その集まりのリーダーさんは、まさに「固有名において引き受ける」タイプの人なので、いろいろ勉強になることが多い。オカダも、少しでもそういう人に近づけるといいなあ。

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